20周年なサイト&ブログの歴史を振り返り


1998年8月頃のブログトップ

この12月でサイト開設20年になります。ブログも20年続けていて、そこそこの頻度で更新を続けてるブログの中では世界で3番目に古いようです。そのうち、最古のブログとして、ギネスブックにも載りますね。<をい

せっかくなので、うちのサイトとブログの20年を振り返ってみました。ライトノベルサイトとしても最古参だと思うので、初期のネットやライトノベルサイトの雰囲気が伝われば、……伝わらないか(^^;。

1995年12月 サイト&ブログ開設

開設当初は大学の研究室のMac上で公開していました。まだ商用プロバイダは少なく、大学でも、インターネット接続できるのは情報系の研究室が中心だった時代。この少し前辺りから、情報系以外の研究室でもだんだんとインターネット接続できるようになっていったのですが、インターネット接続できるようになると、まずは、研究室のホームページを作り、研究室のメンバ紹介&自己紹介のページを作り、やがて、メンバが日記を書きだすのが当時のパターン。さらに、日記リンク最大手の「津田日記リンクス」に登録するまでがお約束だったような気がするのだけど、私は、朝日奈アンテナ系の日記リンクのいくつかと、声優LINKSに捕捉していただき満足していたので、「津田日記リンクス」には登録しませんでした。そもそも、「津田日記リンクス」は、1996年の6月に崩壊しちゃったしなー。

1996年 9月 mesh(現BIGLOBE)へ移転

入会してたパソコン通信「PC-VAN」が、インターネット接続サービス「mesh」と統合して、「PC-VAN」の会員ならば「mesh」のホームページサービスを無料で使えるようになったのが移転のきっかけ。そろそろ商用プロバイダが会員募集に力を入れ始めてきた頃ですね。当時、自宅ではX68000をメインマシンにしてたのですが、これに合わせてWindows95搭載のPC9821を買いました。Windows95が動くようなPCは30万円もしてた時代なので、学生にはなかなかしんどかった。日本のパソコン市場では、まだ、PC98がぎりぎり主流だった時代……。

で、うちの古いページだとファイル名が大文字になってるのですが、これ、X68K<->Mac<->PC98でファイルをフロッピーディスクでやり取りしてた頃の名残です。ファイル名を大文字にしないとファイルのやりとりが安定しなかったのね。いやー、この頃は、X68Kのテキストエディタ「シャーペン.X」で書いてたんですよ。Windows95で手ごろなテキストエディタが見つからなかったので。

ちなみに、当時のコンテンツは、日記(ブログ)、イラストギャラリ、漫画家柊あおいファンページ、声優菊池志穂ファンページ、東北大学アニメーション研究会非公式サイトと、そんな感じ。もともとは、ライトノベルサイトではなく、サイトは創作系、ブログは声優系でした。

1998年 3月 ブログタイトルを「好きなら、言っちゃえ!! 告白しちゃえ!!」に変更

「好きなら、言っちゃえ!! 告白しちゃえ!!」というタイトルは、尊敬する小説家小泉まりえの言葉から。自分が憧れる文章書きは二人いて、一人が小説家の小泉まりえ、もう一人が声優の麻績村まゆ子(おみむらまゆこ)です。ああいう文章が書ける人間になりたい……。

1998年 6月 「さおりなあんてな」設置

今のさおりなさん は三代目。ライトノベルあんてな が四代目。

今よりも、相手のブログへリンクしてコミュニケーションしたり、ブログをやってる人は、みんな更新頻度が高かった時代。今なら twitter でやってるようなことを、みんなブログでやってたんです。なので、コミュニケーション相手のブログの更新チェックをするのが、いまより重要でした。……で、長らく他の人のアンテナを使ってブログの巡回をしてたのだけど、いろいろ不満に思うことが多くなり、自分でアンテナを立てて、読んでるブログの更新チェックをするようにしたわけ。

初代は配布されていた朝日奈アンテナのスクリプトを使っていたのだけど、二代目でなつみかんに移行。四代目では自作のスクリプトにしています。そういえば今、「はてなアンテナ」をはじめ、広く使われている「アンテナ」という用語が、もともと朝日奈夕子(CV.鉄炮塚葉子)の歌う「アンテナ・ライフ」を元ネタにしてたことは、すでに忘れられて久しい予感。各種アンテナを使うとき、たまには『ときめきメモリアル』の朝日奈夕子のことも思い出してあげてください。

1998年11月 ブログのCGI化

この時までHTMLを手書きしてたのか……。ここでperlを勉強して、ブログ生成に自前のスクリプトを導入しました。今はいろいろなブログツールやサービスがありますが、当時は自分で作ってる人が多かったんじゃないかな。うちは今でもすべて自前です。ブログの見た目も更新の仕方も、スクリプトを導入したこの時から大きく変わってない。進化してないとも言える……。

1998年12月 冬コミ参加。ヴィジュアルノベル『粉雪のストロベリージャム』頒布

この頃はまだ創作活動をしてました(汗;。ライトノベル系のブログをやってますが、ライトノベルらしいものを書いたのって、人生で、これだけじゃないかしらん。『粉雪のストロベリージャム』は、もともと大学時代に作った自主制作アニメで、このヴィジュアルノベルは、それのノベライズみたいなものです。

1999年12月 恋愛ゲーム『Iris』(柊あおい『星の瞳のシルエット』の二次創作ゲーム)にCGで参加

この頃はまだ創作活動を以下略。これ以降、たぶんまともにイラスト書いてない……。

2001年 6月 うちのブログでの“ライトノベル”という単語の初出

この三か月前、2001年3月のブログの中では、“ヤングアダルト”と書いてる模様。それ以前には他にも“少年向け小説”とか“その手系小説”とか書いていて、今の“ライトノベル”に当たる小説の呼び方に苦労していたのが偲ばれます。“ライトノベル”という呼び方は2000年代前半に広まったと言われてますが、私もこの頃までは、“ライトノベル”という呼び方があることを知らなかったんですね。

もちろん、呼び方を知る前からライトノベルは読んでましたし、Web上でも“ライトノベル”という名称が広まる前から、『ブギーポップ』や『DADDYFACE』などは広く話題になっていたと記憶しています。

2002年 1月 大手ライトノベルサイト「まいじゃー推進委員会」へブログ内から初リンク

もともと声優系かアンテナ系日記界隈の方々との交流が多かったのですが、この辺りからライトノベル系の方々と交流を持ちはじめたようです。ちょうど、『マリア様がみてる』がWeb上で流行りはじめた頃か。当時は、ミステリーやSFのコミュニティはあったように思うのですが、ライトノベル系でそういうのはなかったのよねー。

2002年 3月 最期の麻績村まゆ子(おみむらまゆこ)握手会

もっとも行っていたときは、年50回以上、合計すると300回近く声優イベントに参加していました。握手会なら麻績村まゆ子(おみむらまゆこ)、ライブorコンサートなら椎名へきるや丹下桜が好きで、他にも菊池志穂や池澤春菜のイベントにはできるだけ参加するようにしてたのだけど、何故か、おみまゆちゃんの握手会がこれを最期にぱったりなくなり、そして、他の好きだった声優さんも、イベントを止めたり方向性を変えたりということが重なり、結果これ以降、声優イベントにはほとんど行かなくなってしまいましたとさ。

そいえば、最近の声優イベントの映像見てると、みんなサイリウム振ってるのだけど、いつの頃からの文化なんだろう? 私が行ってた頃は、誰もそんなん振ってなかったんだけど。

2002年 6月 “作った方の創作意欲を削ぐような感想の書き方は、止めて下さい” ⇒ 指摘の感想をコメントアウト事件

わりと酷評を書くこともあり、それで作家の方に呼び出されたこともありますが、指摘を受け入れて感想を削除(正確にはソースに残した形でコメントアウト)したのは、20年でこのときだけ。うちは感想サイトの中でも苦情をたくさんいただいてる方だと思うんですが、まあ、苦情が嫌なら、はじめから感想サイトなんて止めるべきです。たとえ褒めてばかりでも苦情は来るものだし、それに、中途半端に褒めてしまい、それで、その商品を買う人が出てくる方が、精神的にキツイと思うんですけどね。あと、炎上対策なら、「酷評を書かない」よりも「中途半端な知識や考察で書かない」方がはるかに効果的。

で、なんでこのときだけはコメントアウトしたかというと、このとき取り上げた作品って、仲間内だけで楽しんでるアマチュア作品だったんですよね。そういう作品に対してコミュニティの外から批評するのは、さすがに空気が読めてないかな、と。以降、アマチュアの作品に関しては、感想を書くのも注意するようにしています。

2003年 9月 感想メモリンク(のちのライトノベル感想リンク集)を開始

ライトノベルの感想を書くサイトがちょいちょい増えてきたこの頃、「感想のリンク集があると便利だけど手間かかりすぎて作れないよねー」みたいな議論があったのだけど、それに対する私の回答がこれ。「自分の巡回範囲で気になるタイトルの感想だけを集めればいいんじゃね?」というスタンスではじめて、今でも続けてます。当初は、「ライトノベル感想リンク集」のようにリンクを集約したページは用意してなく、自分の感想の最後に他の人の感想リンクを並べる形だけでしたが。

あと、当時は、たくさんの苦情をいただいてたんで、その対策の意味合いもありました。いただいた苦情の半分ぐらいは「みんな褒めてるのに、お前はおかしい。死ね」という趣旨だったんですよ。それじゃあ、「自分の感想と一緒に、“みんな”の感想を並べたら苦情は減るんじゃね?」と思ったわけ。案の定、感想メモリンクをはじめてからは、その手の苦情はほとんど来なくなりました。

2004年 1月 bk1(現honto)のアフィリエイトに参加

ライトノベルサイトの場合、アフィリエイトに参加するのは合法的に書影を使うのが目的だと思います。今なら Amazon一択なんですが、当時の Amazon は、ライトノベルの画像がほとんど用意されてなかったんですよ。そこに、bk1が個人サイト向けに書影の使用について公式見解をアナウンスして、みんな一斉に bk1 のアフィリエイトに申請したんだよねー。かつての bk1 は極端にユーザの立場に立った運営をしていて、Amazon に勝りうる存在だったと思うのですが、今は、見る影もないっすね。

2004年 3月 Web版「このライトノベルがすごい!」(のちにライトノベルファンパーティーに改称)に参加

はじめてライトノベルサイトのコミュニティができた瞬間。それまでも緩いつながりはあったのですが、コミュニティとしてきちんと目に見える形になったのって、このイベントが始まりじゃないかなー。今、宝島社から出ている「このライトノベルがすごい!」とは全くの別物で、もともとはネットの有志がはじめたもの。プロの作家の方も参加されていて、今振り返っても、かなり大きなイベントだったと思います。私もコラムを寄稿して、それで、のちに宝島社から声がかかったりしました。

時期的には、ちょうどライトノベル評論本ブームがくる前夜あたりで、『マリア様がみてる』『涼宮ハルヒ』『銀盤カレイドスコープ』『流血女神伝』が流行っていた頃ですね。

2004年11月 宝島社「このライトノベルがすごい!」に目利き枠で参加

2004年の夏ぐらいから、なぜかライトノベルが注目されるようになり、やたらライトノベルの評論本が出て、のちに、ライトノベル評論本ブームと呼ばれた時代。宝島社からも「このライトノベルがすごい!」が刊行されました。先のWeb版「このライトノベルがすごい!」の参加者も多数協力していて、のちに、この協力者らを中心に「ライトノベル管理人連合(ラ管連)」といろいろ揶揄されたり噂されるようになったのは、また別の話。私も、1/2ページをいただき注目のライトノベルの紹介をさせていただいてました。今は目利きのコーナー自体なくなってしまいましたが、年に一回ぐらい、ああいう文章を書くのもおもしろかったですねー。


あと10年ほどありますが、めんどくなってきたので<をい、残りは軽くだけ。……えっと、2011年から「好きなライトノベルを投票しよう!!」をはじめてます。ライトノベルサイトを中心に、お気に入りのライトノベルを選んで投票していただく企画です。もともと、平和さん主催の「ライトノベルサイト杯」があったんですが、主催の平和さんがいきなり止めるとか言い出したので、それを引き継ぐ形でした。「ライトノベルサイト杯」自体は、2006年スタート。……あとは、ここ10年ぐらいだと大したことなかった気がするなー。うーん、強いて言えば、何故か声がかかって審査員をやったこととか、ドメインを取得してサイトを移転したぐらい?

まあ、すでに、ブログはオワコンと言われて久しく、特に、twitter登場後は、多くのブログやサイトが更新をストップしちゃってますが、私は、ここまで続けてると、さすがに滅多なことで止めることもないでしょうし、あとは、寿命との戦いだと思いますがー。

[ 2015.12.17 ]