少女小説の100年史、ライトノベルとの関係

「ライトノベルに少女小説は含まれないのか?」という議論を見かけたのですが、ここでいう「少女小説」がちょっと気になりました。

「少女小説」は、"少女向けの小説"と理解されていると思うのですが、"少女向けの小説"は2000年代ぐらいから「少女向けライトノベル」と呼称されることが多く、若い読者には「少女小説」という呼称が通用しないなんて話も耳にします。「少女小説」を今風に「少女向けライトノベル」と言い換えると「ライトノベルに少女向けライトノベルは含まれないのか?」という話になってしまって命題として成立しません。

まあ、「少女小説」という呼称が用いられたのは主に戦前と1980年代〜1990年代なので、ここでいう「少女小説」はその1980年代〜1990年代のイメージ、つまり、氷室冴子や久美沙織が活躍した時代のコバルト文庫や花井愛子や折原みとに代表されるティーンズハートのイメージだと思うのですが、100年を超える少女向け小説の歴史の中でたかだか20年程度のイメージを切り取って語るのもちょっと乱暴すぎると思うのですよ。

そこで、軽く少女向け小説の歴史を纏めてみました。こうみると、伝統を積み重ねてるわけではなく、スクラップ&ビルドを繰り返してきた歴史なんだな。

「少女小説」の誕生

初の「少女小説」は、1895年に発表された若松賤子『着物のなる木』ということになってるみたいですが、戦前の代表作と言われるのが1916年に連載がスタートした吉屋信子の『花物語』。女学生の友愛を描いた連作短編で百合小説の元祖ですね。戦前の作品でもう一つ有名な川端康成の『乙女の港』は1937年か。『乙女の港』もミッションスクールを舞台にした百合小説で、戦前はだいたい百合小説が流行ってます。それにしても、1937年か。太平洋戦争の開戦までそんなに時間ないぞ。

当時の時代背景も軽く触れると、「高等女学校令」で女子向けに今の中学校・高校にあたる高等女学校が解禁されたのが1899年。大正デモクラシーが1910年代〜1920年代。満州事変が1931年で、太平洋戦争は開戦が1941年で終戦が1945年。女学生が生まれたのとほぼ同時に少女小説が生まれ、最初は教訓的な話が多かったのが大正デモクラシーの自由な空気の中で百合小説が生まれて太平洋戦争の直前まで続く、という感じね。

「ジュニア小説」の誕生

「少女小説」は太平洋戦争を生き延びるんですが、戦後、1950年代には滅びます。

滅んだ原因として挙げられるのは、1947年の教育基本法の公布に伴う学校の共学化。共学化の広がりによって、当時の少女の関心は男女の恋愛に向かい、百合小説はだんだんと人気を落としていくんですね。

そして、「少女小説」亡き後に登場したのが「ジュニア小説」。当時の少女の興味に合わせて男女の恋愛がメインです。1950年代後半あたりから登場し、1960年代中頃に『小説ジュニア』や『ジュニア文芸』といった雑誌が創刊されてジャンルとして確立したとされてます。「ジュニア小説」の代表作としてよく聞くのが富島健夫の『おさな妻』で、1969年に『ジュニア文芸』に掲載され、翌1970年に実写映画化。女子高生が人妻になる物語でAmazonプライムで映画版が見れるのだけど、エロティックのラベルがついているんだよなー。

で、「ジュニア小説」も、1970年代になると急速に廃れていくんですね。

原因として挙げられる一つは、性描写が過激化して社会的にバッシングを受けたこと、もう一つは、漫画ブームの影響です。1970年代というと「花の24年組」と呼ばれる竹宮惠子とかの少女漫画家が活躍した時代ですね。仕方ない。

1980年代 コバルト文庫と「少女小説」の再登場

1976年になると、いよいよコバルト文庫が創刊。で、「ジュニア小説」にトドメを刺したのが、コバルト文庫からデビューした氷室冴子です。

コバルト文庫の創刊の経緯を書くと、もともと雑誌『小説ジュニア』の単行本レーベルとしてコバルトブックスがあったんですね。で、1970年代の文庫レーベルの創刊ブームに乗っかって、集英社もコバルトブックスをコバルト文庫(集英社文庫コバルトシリーズ)に衣替えしたものです。ただ、コバルト文庫創刊時にはすでに落ち目で過去の名作を出して延命してる状況でした。ていうか、コバルト文庫から、さっきの『おさな妻』も出てるやん。

こういう状況のコバルト文庫でデビューしたのが氷室冴子。デビューは1977年だけど有名になったのは1980年の『クララ白書』かなぁ。落ちぶれていた『小説ジュニア』に大型新人の登場で、編集部も若手作家メインに売り出すことに決定します。

ここで氷室冴子は自分の作品を「ジュニア小説とは違う」という意識を持っていて、死語になっていた「少女小説」という呼称を復活させたんですね。編集部も雑誌『小説ジュニア』を『Cobalt』にリニューアル。「ジュニア小説」を過去のものにして、ブランドイメージの刷新を進めていきます。

氷室冴子が「少女小説」を広めたとすると、「少女小説」のイメージを作り上げたのが花井愛子です。花井愛子は1987年に創刊されたティーンズハートで活躍していくのですが、徹底したブランド戦略で「少女小説」のイメージ作りをしていきます。氷室冴子は戦前の「少女小説」を意識していたと思うのですが、花井愛子がイメージしたのは少女漫画のような小説で、戦前の「少女小説」とはまったくの別物になっていくんですね。

1990年代 コバルト文庫のファンタジー路線への転換

新しい「少女小説」は恋愛メインだったのですが、大きな変化が起きたのは1990年前後。ファンタジーブームの中、角川スニーカー文庫や富士見ファンタジア文庫が創刊されるのですが、これに、コバルト文庫とティーンズハートも乗っかります。コバルト文庫は、前田珠子の『破妖の剣』、若木未生の『ハイスクールオラバスター』、桑原水菜の『炎の蜃気楼』とファンタジー小説メインに路線変更、ティーンズハートもホワイトハートという新ブランドを立ち上げ、小野不由美の『十二国記』を刊行していきます。

で、一方、恋愛メインの「少女小説」は消えてなくなります。

コバルト文庫は本体とは別にコバルトピンキーというサブブランドを立ち上げていたのですが、コバルトピンキーは1998年に廃刊。ティーンズハートも1996年にリニューアルしてテコ入れを計るも低迷。これは、粗製濫造による自滅とか、ケータイ電話に可処分時間を奪われたとか、女子も電撃文庫を読むようになったとか言われるんですが、消えたのは恋愛小説の系統だけで、ファンタジーやBLは生き残るんですけどね。

2000年代 ライトノベルの時代

ファンタジーに路線変更したコバルト文庫は、角川スニーカー文庫や富士見ファンタジア文庫、電撃文庫とともに一つのジャンルとみなされていたんですが、にもかかわらずこれといったジャンル名がなかったんですね。そこで、パソコン通信のNIFTY-Serveで使われていた「ライトノベル」という言葉が、まずは読者の間で使われるようになります。

それがやがてマスコミでも取り上げられるようになるのですが、この時、かつて「少女小説」と言われていた作品も「ライトノベル」として紹介されるようになります。さらに、新創刊される少女向けのレーベルも「ライトノベル」を名乗るようになるんですね。こうして「少女小説」は再び使われなくなっていきます。

まあ、2000年代の少女向けの小説はファンタジー色が強く、恋愛小説のイメージが強い「少女小説」は使わないよなぁ。あと、この頃は「ライトノベル」のブランドイメージが強かったので、とりあえず「ライトノベル」を名乗ってれば売れる、みたいなのもあったと思います。

そして、現在

ところが、2010年代になると「ライトノベル」も使われなくなります。

代わりに使われるようになるのは「ライト文芸」とか「キャラ文芸」ですね。例えば、「少女小説」時代から唯一生き残っていたコバルト文庫は、2015年に実質的な後継レーベルのオレンジ文庫を創刊するのですが、このオレンジ文庫は「ライト文芸」を名乗っています。「ライトノベル」を名乗らなくなるのは男性向けのレーベルも一緒で、たぶん、2010年代後半からのアニメ化ラッシュのせいで「ライトノベル」のブランドイメージが悪くなったからだよなー。

また一方では、男女でレーベルを分けないところや、分けてもレーベル名の後ろに"F"をつけるだけのところも増えています。あまり男女向けを意識してない気がします。いやぁ、なろう系の時代になると「少女向け」のアピールをしても、あんま意味ないんでしょうね。

まあ、そもそも「少女」自体が今の読者にはいない気がします。2000年代から読者の高年齢化が言われ続けてますからね。

[ 2024.06.23 ]