サイト開設10周年/1995年当時を振り返る
うちのページも今日で 10年目です。日記の方は 12/28 からなので、もちっと先ですけど。しかし、10年もなにやってるんだろうねー。まあ、10年も続けられてるのは、惰性(よく言えば習慣化)と、あとは、いろいろな意味で、ディスプレイの向こう側の人を信じるという辺りかしらん、と思ったり思わなかったり。
せっかくなので、昔を懐かしんで見たりしてぐだぐだするテスト↓。
- はじめてインターネットのウェブサイトを見たのは、某友人の研究室で、確か、うちの大学のトップページだったかしら。多分、94年末か95年のはじめのころ
- 当時は、インターネットに直接接続できる研究室はそんなに多くなかったのよね。自分の所属してた研究室はダメでした。メールとtelnetが基本で、計算センターのサーバーに接続して、申請すると学外に出られるとかそんな感じ
- そゆわけで、その頃までは、tains-bbms という学内の電子掲示板で、今週の風様とか、ギャルゲについて書いてたりしてました(^^;。←『レイアース』のTV放映は、94年10月~95年11月なので、ちょうどその頃か。tains-bbms は、秋保窓(その後ごたごたがあって窓の杜になったりならなかったりしたところ)絡みで、一部に有名かもしれず
- それが、国の予算がついたか何かで、95年の夏頃からケーブルの敷設工事が盛んになって、自分の研究室からインターネットに直接接続できるようになったのが、95年の11月
- で、研究室の Mac にサーバを立てたのが、10年前の今日。ただその頃は、24時間じゃなくて、夜は落としてたりしてたのだけど
- その頃のインターネットで見かける人は、ほとんど情報系の大学院生だった予感。まだ、自宅からアクセスする人は少なかったし、大学の研究室でも、興味のある人がいないとネット環境も整えずに放置プレイだったのよね
- で、当時勢いがあったのは、北大、室工大、豊橋科技大の方々だった、という俺イメージでした。まあ、『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』を見ても、津田日記リンクスとかはうンは当時の重要なタームの一つなので、そう間違った認識ではなかろう
- あとは、○○大の○○さんという風に所属と実名をはっきり明かしていたのよね。「パソコン通信じゃないんだからハンドル使うなよ」「実名で責任取れないような記事を書くな」みたいな。ていうか、そもそも、ほとんどの人が研究室のサーバーにページを作って、研究室のパソコンからアクセスしてたしなー。
- いや、当時の個人ホームページは、研究室の所属メンバーの自己紹介のページに、日記や趣味のページをぶら下げるのが一般的だったのよね。そゆ面では、今の mixi は、10年ぐらい前の個人ホームページをモデルに、うまくインプリしてるなー、と思うのだけど、どうだろう。足あと機能も、当時は、アクセスログをみてアクセスし返すというのはわりと普通だったと思うのだけど、その延長という感じだし
- Web日記のスタイルについては、96年のはじめ頃には、すでに、コミュニケーションを考慮した最新のページとリンク用の過去ログ&日付にアンカーというスタイルは、わりと一般化してた予感。そゆわけでは、Web日記の黎明期はたぶんやっぱり95年で、私は、ちと黎明期に乗り遅れてるのが残念無念
- 10年前と今とで一番大きい違いは、やっぱり、今はいろんな人がいる、という部分かなー。当時は、基本的に大学院生、せいぜい大学関係者という辺りで、だいたい同じ年齢、同じ立ち位置の人たちばかりだったのが、今は、職業も年齢もばらばらで、例えば、簡単に小説家のサイトにアクセスできたりするのは、凄いと思う
- ただ、コミュニケーションは格段に難しくなったなー、と思うことしきり。「前提として、これぐらいは知ってる解ってる」というベースラインがまったく違ったり、基点となるスタンスも大きく違って、会話がぜんぜん噛み合わない、というケースをたびたび見かけるようなそんな予感ががが。まあ、それはそれで、面白いのでいいのだけど
- そんなこんなで纏まりもなく、今後もよろしくお願いします、ということで
[ 2005.12.17 ]