2024年 3月 4日
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ホビージャパン HJノベルス
◆ 玉葱とクラリオン(2) 詐欺師から始める成り上がり英雄譚 /水月一人 -
「小説家になろう」で凄く好きな作品。2巻も無事に発売されたっ!!
ゲームのような異世界に転移?ログイン?した但馬波留。1巻では知識チートでいきなりマルチ商法をはじめるという凄い展開だったのだけど、2巻ではフツーに紙づくり。ただ、紙づくりで披露される蘊蓄の細かさこそが、『玉葱とクラリオン』の魅力の一つだよなぁ。
他の作品だと、知識チートで紙を作るとしたら、植物を煮たり叩いたりして繊維を取り出し漉くぐらいの解像度だと思うのだけど、なんでセルロースの化学的な説明からトイレットペーパの歴史、植物の進化史から水酸化ナトリウムの生成、モーターの基本原理の説明まで、軽薄な主人公の行動の合間あいまで語られていて、その蘊蓄と軽薄さのギャップが凄い。
物語的にも、軽薄でコミカルな筆致にも関わらず、主人公の悩みや葛藤は深く、また重い展開も待ち受けていて、こうして書籍版で読み返すと、改めて「小説家になろう」の中でも随一の傑作だと思う。是非、最後まで書籍で出して欲しいなぁ。
[ 玉葱とクラリオン ]
2024年 3月 11日
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オーバーラップ オーバーラップ文庫
◆ 死神に育てられた少女は漆黒の剣を胸に抱くVII(下) /彩峰舞人 -
完結っ!! 前巻が出てから2年近く待たされたのでちゃんと出るか心配だったのだけど、無事に終わった!! 良かったっ!!
国同士の軍隊による戦いと個人の俺TUEEEEEを高いレベルで融合させていた本作だけど、もう、ここに至ると、相手は数の暴力で攻めてくるゾンビ兵なこともあって、個人の力技の世界だ。それでも、対抗しつつも少しづつ劣勢になっていくサザーランドと神国メキアの描き方は良かった。一方、ファーネスト王国は、もうちょっとセルヴィア王子の活躍とその後の治世は描いても良かったんじゃ(^^;。
オリビアとゼーニアの最終決戦を熱い展開で非常に良かった。人を超えた戦いにも関わらず、きちんとフェリックスも活躍しているのが良い。そして、ラストは、まあ、賛否分かれるかなぁ。
まあ、何はともあれ、きちんと完結したことが素晴らしい。ただ、戦記モノとしては、王国と帝国の行末ももうちょっとでも示唆して欲しかったところはあるよなー。
2024年 3月 18日
- ◆ [GAME] 信長の野望 出陣 /コーエーテクモゲームス
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『信長の野望 出陣』は、先日まで半周年イベントをやっていましたが、サービス開始半月で始めた私も、ちょうどプレイ開始してから半年ほど経ちましたぁ〜。せっかくなので、現状のプレイ状況をまとめてみます。
プレイの進捗は、プレイヤーLvは72。累計歩数1,812,562歩。『信長出陣』をはじめて、だいたい1日1万歩ほど歩いている計算で、多分、健康になってる気がする。気がする。ただ、スマホでは『信長出陣』をずっと起動しているし、土日も出歩くことが増えたので、他の趣味が確実に食われてる。特に電子書籍を読む時間が酷いことになってる気がする……。
総石高は118,713石で、拠点制圧数は5,040カ所。家の周辺と東京近郊の主要なJR路線はだいたい乗って領地化済みなので、今は東京、神奈川、埼玉辺りにに本拠、支城を移して拠点数を稼いでいる感じ。リアル遠征には限界を感じているのだけど、最近は、さらに訪問する都道府県の数もプレイに求められてきていて、もう、心が折れそう。どう考えても、歩いてクリアするゲームじゃないよ……。
総戦力は124,365。編成は、元親(槍)、氏康(槍)、元就(弓)、謙信(馬)、信長(砲)。大将はプレイ一ヶ月後ぐらいから変化はないけど、副将/与力はSSRが成長してきたので少しずつSRからSSRに置き換えてはいる。やっぱり無課金だと、イベントやガチャ限定武将はほぼ使えないので選択肢がないんだよねー。攻城戦とか、ボーナス込みで14万の敵は射程圏なのだけど、秀吉か幸村がいる10万以下の相手にフツーに負けるからなぁ。まあ、戦力だけの勝負にならなくなったのでゲームとしては格段に面白くなったけれど、無課金にはちょっとツライ。
で、半年遊んだゲームの感想だけど、とにかく、運営陣がかなりユーザーの意見を汲み取っていて、数回の大幅アップデートも非常に評価できるものが多くて、その点は非常に好感できる。いや、今でも技術力やノウハウが必要な部分の実装は酷いままなのだけど、さすがに半年で技術力が大きくアップするわけじゃないし、この運営陣であれば必ず将来改善してくれるだろうと期待できるかなー。
ただ、気になるのは、武将名鑑などゲームの本質以外なところにも力を入れているというコメントのわりに、細かな部分がかなり雑。わざわざデータ使うのであれば、兵種とグラフィックは合わせるべきだし、兵種や勢力に合わせて説明も変えるべきだと思う。毎日あるログイン時の一言も、旧暦→新暦の変換ぐらいしとけ。正直、戦国武将に対するこだわりが感じられないんだよねー。
位置情報ゲーム、歩いて領地を広げるというコンセプトにもかかわらず、わりと早い段階で位置情報ゲームの要素は薄くなり課金前提のガチャ中心になるゲームシステムなので、どこかで限界を感じるようになって引退すると思うのだけど、できれば、せめて一周年の時も遊んでいたいなぁ。
[ 信長出陣、半周年!! ]
2024年 3月 31日
ライトノベル、つまり若者向けのエンタメ小説は、コバルト文庫やソノラマ文庫が登場した1970年代に生まれたと言われてるんですが、コバルト文庫にはコバルト・ブックス、ソノラマ文庫にはサンヤングシリーズとそれぞれの前身に当たるレーベルが1960年代に登場しているんですよ。普通に考えれば、ライトノベルの起源は1960年代まで遡れる。
誰ですか? 1970年代がライトノベルの始まりと間違ったことを言い出した人は??
もちろん、1960年代に登場した若者向けの小説はあくまで源流であって、段階を経てライトノベルらしくなっていきます。
1966年 若者向け小説の登場 ← 『小説ジュニア』創刊
1969年 アニメ・漫画の影響が強くなる ← サンヤングシリーズ創刊
1976年 文庫レーベル化 ← コバルト文庫&ソノラマ文庫創刊
1977年 新時代の作家の登場 ← 氷室冴子&高千穂遙デビュー
1986年 ゲームファンタジーの導入 ← ロードス島戦記
1989年 ライトノベルらしいフォーマットの完成 ← スレイヤーズ
まあ、過去の議論では、何故かコバルト文庫とソノラマ文庫の創刊を重要視しすぎていると思うんですよ。そこで、1960年代中頃のジュニア小説の登場から文庫レーベルが登場した辺りぐらいまでのライトノベル史をまとめてみようと思います。
若者向け小説の登場
ライトノベルをはじめとする「若者」向けの文化は、第二次世界大戦後にはじめて登場したと言われています。戦後のベビーブームと高校、大学への進学率の向上に伴いモラトリアムに沈む若者が増加し巨大なマーケットを形成していったと認識されています。
世界ではじめて若者向けの文学ジャンルが確立したとされるのはアメリカで、1951年の『ライ麦畑でつかまえて』以降、似たような青春小説が増加し1960年代にジャンルとして確立したと言われています。
日本においても、ベビーブーマー世代(団塊世代)が高校生になった1960年代中盤に以降に、ジュニア小説と呼ばれるハイティーンの女子向けの青春小説がブームになります。アメリカの青春小説は若者が強い関心を持つセックスやドラッグを扱い社会問題となりますが、日本のジュニア小説も過激な性描写が社会問題するなど共通な傾向が見て取れます。
『ジュニア文芸』と『小説ジュニア』の創刊とジュニア小説の確立
ジュニア小説は、戦前からある「少女小説」に置き換わる形で1950年代後半頃に登場。1966年に創刊された集英社の『小説ジュニア(『Cobalt』の前身)』や小学館の『別冊女学生の友(ジュニア文芸)』によってジャンルとして確立しました。少女小説は、少女同士の美しい友愛をテーマにしていたのに対し、ジュニア小説は男女の性愛をテーマとした青春小説です。戦前戦中の価値観では男女交際を少女向けの物語を描くなんてまかりならん、ということだったらしく戦後の価値観の変化により、少女小説→ジュニア小説に移行したとされています。
ジュニア小説を牽引した『別冊女学生の友』は、『女学生の友』の別冊として創刊、翌1967年に『ジュニア文芸』に名前を変えます。『女学生の友』は1950年に中学生、高校生をターゲットとした雑誌で、発行元の小学館は『小学○年生』という学習雑誌を刊行しており、その中学生・高校生バージョンとして企画されたようです。
『小説ジュニア』は、当時相次いで創刊された女性誌の一つ『女性明星』がリニューアルしたもの。『女性明星』は20歳前後の女性を狙って1962年に創刊されたものの部数は低迷、試行錯誤の中で比較的好評だった小説をメインにしてリニューアルされたもののようです。あわせて、コバルト・ブックスがリニューアルの前年、1965年に創刊されています。
このジュニア小説は、全盛期には240万人の読者を獲得していたとされています。しかし、1970年前後に過激な性描写が社会問題となり、1971年には『ジュニア文芸』が休刊。『小説ジュニア』も人気が低迷することとなります。
アニメ業界の人脈を駆使したサンヤングシリーズ
一方、少年向け小説は、戦後しばらくは冒険小説が人気を博していたものの、1960年代に入ると漫画の台頭により衰退。学習雑誌にジュブナイルSFとして残る程度となります。そこに一石を投じることになるのが朝日ソノラマのサンヤングシリーズです。
朝日ソノラマは元は出版社ではなくソノシート(廉価版のレコード)の会社で1958年創業。ソノシートは価格が安いことから特に子供向けで強みがあり、1963年にアニメ化された『鉄腕アトム』をはじめ、『鉄人28号』『狼少年ケン』といったTVアニメの主題歌や音声ドラマなどで成功します。そして、1966年にはソノシートを付録にした雑誌『月刊朝日ソノラマ』を創刊、また漫画レーベルのサンコミックスを創刊し、出版事業に参入します。
そして、1969年に小説レーベルとしてサンヤングシリーズを創刊。ソノシートで培ったアニメ業界の人脈を活かし、脚本家や漫画原作者、SF作家に執筆を依頼することとなります。ラインナップには、石森章太郎の『佐武と市捕物控』や手塚治虫の『どろろ』、梶原一騎の『柔道一直線』のノベライズも含まれるなど、漫画好き、アニメ好きを意識したレーベルだったようです。
第三次文庫ブームと文庫レーベルの登場
1960年代に創刊されたコバルト・ブックス、サンヤングシリーズはどちらも判型は文庫ではありませんでした。ただ、それは当然で、当時の文庫は、古典名作をセレクトした叢書として刊行されていて、しかも文庫市場は岩波書店、角川書店、新潮社の三社に占有されていて、文庫で創刊するとかあり得ないわけです。なので、文庫だからライトノベルの源流ではないとか言ったらおかしいわけですよ。
この文庫の状況が変わったのは、1971年の講談社の文庫参入とその後に続く第三次文庫ブームによるものです。
講談社は創業60周年記念事業として、1971年に講談社文庫を創刊します。三社に占有されていた文庫市場に殴り込みをかけるため、半年で100点を超える大量の文庫を投入。ところが、この文庫市場への参入がおそらく講談社の思惑を超えて出版業界に影響を与えることになります。
1960年代は高度経済成長で日本経済はイケイケでしたが、1971年のニクソンショック、1973年の第一次オイルショックで不景気に突入します。そんなタイミングで創刊された講談社文庫は、古典名作の叢書としてではなく安い廉価本として読者に歓迎されることになりました。そういう状況だったため、各出版社とも古典名作に限らず幅広い作品を文庫市場に投入しはじめ、文庫市場から距離をとっていた出版社も、自社作品が他社から文庫化されるケースも増えるに至り、知財防衛の観点から新作でも次々と文庫で出版するようになります。こうした流れの中で、1976年に『集英社文庫コバルトシリーズ(コバルト文庫)』と『ソノラマ文庫』が創刊していきました。
ちなみに、殴り込みを掛けられた側の角川書店は、1976年の『犬神家の一族』から積極的に映画とのメディアミックスを推し進めることとなります。この流れも、のちに角川スニーカー文庫や電撃文庫へつながっていきます。
若手作家の台頭と同時代感同世代感の獲得
このように第三次文庫ブームによって、文庫市場に参入したコバルト文庫とソノラマ文庫ですが、創刊しばらくはコバルト・ブックス、サンヤングシリーズの時代から大きな変化はありませんでした。転機となったのは、文庫ブームによって出版の機会を与えられた若手作家のデビューによるものです。
コバルト文庫の母体となる小説ジュニアでは、1968年より「小説ジュニア新人賞」を開催、新しいジュニア小説の書き手の公募を行なっていました。その新人賞10回目の1977年に佳作を受賞したのが氷室冴子です。氷室冴子は受賞はしたものの編集部の評価は必ずしも高くはなく、文庫よりも雑誌の方が格上されていた当時、雑誌には執筆の場が与えられませんでした。しかし、デビューの1年前にたまたま創刊したコバルト文庫に執筆の機会が与えられ、そこで頭角を表すようになります。
氷室冴子をはじめ、小説ジュニアの新人賞を受賞した正本ノン、久美沙織、田中雅美の4人に新井素子を加えた5人が初期のコバルト文庫を牽引していくことになります。氷室冴子、久美沙織、田中雅美はデビュー時大学生、新井素子にいたっては高校生、正本ノンも20代前半。一方、小説ジュニアの読者の平均年齢は19歳。つまり、それまでのオジさんが考えた青春小説ではなく、読者と同じ同時代感同世代感の作者で、これが読者に受け入れたれた理由とされています。この以降の若者向けの小説では、この同時代感同世代感が重視されていくこととなります。
一方、ソノラマ文庫は、サンヤングシリーズ同様にアニメ業界の人脈を駆使し、1977年にスタジオぬえの高千穂遙を得ます。高千穂遙は当時20代、『クラッシャージョウ』でデビュー。『クラッシャージョウ』はイラストに安彦良和を起用し、1979年にコミカライズ、1983年にアニメ化。メディアミックスの先駆けとなります。その後、ソノラマ文庫は、ハヤカワ文庫とともに、新人SF作家の登竜門としての地位を固めていくこととなります。
まとめ
このようにコバルト文庫とソノラマ文庫は、1960年代の小説ジュニアやサンヤングシリーズと地続きであることを示した。ただ、ライトノベルの成り立ちに関しては、この後にしても、夢枕獏と菊地秀行のデビューに、テーブルトークRPGやコンピュータRPGと雑誌『コンプティーク』の影響、コバルト文庫とティーンズハートの戦争、そして、『ドラゴンマガジン』の創刊と、まだまだ言及すべきことが多い。そもそも、1960年〜1970年代にしても、例えば、SFの成立からジュブナイルSFの誕生は、今回、ざっくり省いているわけで、過去の議論を参照しても、まだまだ漏れが多いんですよね。雑に、ライトノベルの誕生を1970年代に置くのではなく、さらなる研究が必要ですよね、これ。