ライトノベル評論について纏めてみた
ライトノベル評論について、主だった書籍などを年代順にまとめてみました。
2004年8月に出版された『ライトノベル完全読本』がライトノベル評論のはじまりと言われてますが、遡ると2001年頃から「ライトノベル」という呼び方が広まりだし(「ライトノベル」という言葉自体は1990年に誕生)、2003年頃にはネットを中心に盛り上がるようになり、2004年になると読売、朝日、日経などの全国紙で取り上げられ、そして、2004年の夏から冬にかけて次々と関連本が出た、という流れですね。
「ヤングアダルト」からの看板の書き換えではあるんですが、「ライトノベル」という聞きなれない小説群が、新しい最先端の文学としてもてはやされたのが、この00年代初めのムーブメントでした。
もともとライトノベルに強かったのは「SFマガジン」、そして、三村美衣や大森望といったSF系の書評家だったので、初期のライトノベル評論が「SF史観」と言われてたのはそのせい。だって、1990年代にライトノベル(当時はヤングアダルトといった)の書評を書いてたのって、「SFマガジン」の三村美衣しかいない。当時は、新しく最先端の文学!?だったので、とにかくライトノベル専門の書評家がいなくて、なので、初期のライトノベル本ではだいたい三村美衣が語ってるという状況でした。
ライトノベル評論は、初期こそ「SF史観」と言われましたが、ただ、その後のライトノベル評論をリードしたのは、宝島社の『このライトノベルがすごい!』と、大橋崇行や山中智省といったライトノベル研究会に所属する研究者の方々です。
でも、『このライトノベルがすごい!』は、ランキング以外の記事は話題にならないし、研究会の書籍や研究会がやってた「ライトノベルフロントライン大賞」は話題にすらならないし、そもそもライトノベル研究会の活動そのものが2020年4月で終了しちゃったんですよね。ライトノベル研究の未来はいったい……。
ライトノベルの定義なんかも、もう20年近い議論の蓄積があるんですが、いまだに20年前に2chで言われてた「あなたがライトノベルと思うものがライトノベルです。ただし、他人の賛同を得られるとは限りません」で止まったままの人が多くて、結局、誰もライトノベルの評論や研究なんかに興味なくて見てないんです。
最近話題になっていた「ライトノベルに批評は必要か?」ってことに関しては、「必要」と言ってる人も含めて、本心では誰も必要としてない気がします。
関連リンク
- ライトノベルを批評するには - 水城正太郎の道楽生活
- ライトノベル史と批評を残すのがなぜ重要か - Togetter
- ラノベ評論家が必要とされない本当の理由 - とある王女の書評空間(ラノベレビュー)
[ 2020.09.26 ]